8/29に抜糸のため、つい10日前に救急車で運ばれた病院へ行った。
通常の診察ではなく、早めに別の処置室に案内され、あっと言う間に抜糸は終わった。
「ほら、こんなので止めてましたが無事抜きましたよ」と
まんま、変形したホチキス針のようなものを見せてもらった。
おっかなびっくりシャンプーしていた時に触ると、明らかにホチキス針の感触があったが、
見せてもらって ほぉ~これか、と納得した。
少々眩暈が残っているが、これは以前メニエール病という眩暈の症状が出た時と同じだ。
おそらく、頭を打ったことがきっかけで、
以前症状が出た時のように、耳石が動いたんじゃないかと思う。
大きく頭を下から上に持ち上げたり、左右を急に向いたりすると、一瞬の時差があって
ぐるん、と眩暈が起こるのがまさにメニエール病の時と同じだ。
ただ、そのまま眩暈が続く訳では無く、静かにしているとすぐ治まる。
私のイメージとしては、耳石が動くというのは、瓶の中で浮遊する異物のようなもの。
瓶を振ると液体の中を移動するが、振るのをやめるとゆっくり底に沈んで鎮まる。
もう対処方法がわかっているので、そんなものだ、と思っている。
今後も体調に変化がないかは気にかけていくつもりだが、
なんかとてつもない不調でなければ、多少のことはいいかなぁ、という程度だ。
実のところ、すべてが元通りになればいいのにな、とは思っちゃいない。
「年々 できることができなくなっていく」、という経験の真っ最中だと思うからだ。
前にも自転車で転倒して眉尻を強打し、出血したことがあったが、
その時に急に視界に大量の邪魔者が登場した。慣れるまでは字を読むのも大変だった。
眼科を受診すると、飛蚊症だと診断された。
最初は急に視界が悪くなることに凄い違和感があって眼科をハシゴしたが、
結局どこでも「加齢によるものなので治らない」と言われた。
ガッカリした後に気がついたのは、
「これは転倒して急に起こったからショックだっただけで、
これからも徐々に色々落ちていくんだ」ということ。
自分の親の「一番動けた30代を基準にすると今の自分がダメにしか思えない」姿に
「変化していくのだから、できていた頃を基準にしても楽しくない」と
思わされたのもある。
まぁでも、私は3歩で忘れるトリアタマなので、
こういう急激なショックがないと、ついつい忘れてしまうのである。
ケガをしたり、何か事件が起こって気が付くというのは
うつらうつらしている時にドン、と背中を叩いて起こされるような、
有難い出来事なんじゃないだろうか。
握力がなくなって自転車のバランスがとれないとなったら、じゃあどうする?
もう乗らない?
転ぶことを前提に、転んでもケガしないよう防具を着けて防御する?
片手運転しなくてもいいように、乗る前にアクシデントの要素を排除するよう心がける?
処し方は色々ある。
多少の不便を軽減できる道具だってあるだろう。
変化していく、ということは
たとえそれが「老い」に伴うものだとしても、必ず楽しみ方はあるはずなのだ。
いつも、前の一瞬と違う自分。それを丹念に観察して、味わいつくしていくだけだ。
怪我の功名、とはよく言ったもんで、
実は自分を見つめるいい機会なんだね。
【関連する記事】